「おともだち」に対する違和感
公園とかで子供を遊ばせてると、「おともだちが並んでるから割り込んじゃだめよ」とか、「おともだちが遊び終わってからしようね」というように、「おともだち」という表現を使っている親をよく目にする。
そのたびにものすごい違和感を感じてた。 だって、お互い知らないし、おともだちちゃうし。
そんな風に思ってしまうので、自分は「他の子が並んでるから~」とか、「他の子が遊び終わってから~」といった言い方をしてた。
「子」って下に見てる感がある?
しばらく、「他の子」という表現を使ってたけど、どうもしっくりこない。どうしてだろうと考えてみたら、「子」というのは下に見てる表現という感覚がある。
子どもにとって対等の立場でと考えるなら「人」ということになるかなと思い「他の人」を使ってみた。 すると、ものすごい違和感というか、隔たりを感じた。
「他の人」って、他人じゃん
よくよく考えると、「他の人」って他人ってこと、そりゃ隔たりを感じるはずだわ。 もっとオープンにというか、人類皆兄弟というか、人との垣根を意識しない人になった方が確実に世界は広がる。
その意識を持たせるためにあえて「おともだち」という表現を使っているのだとしたら、「まいりました。自分の考えが浅すぎました。」としか言いようがない。
自分の意識を変えよう
結局、「おともだち」に違和感を感じるのは自分の閉鎖的な意識のせいなのかもしれない。
普通に「おともだち」を使っている世の大人を見習うべきだ。 ただ、「おともだち」にはまだ抵抗感があるので、「ともだち」と言ってみることにした。
おしまい。